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自民党改憲草案16条の検討

[条文案]

16I 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願をする権利を有する。

16II 請願をした者は、そのためにいかなる差別待遇も受けない。

 

現在の16条が一つの文章でできているのを2つの項に分ける趣旨。内容的には特に変わっていると考えなくても構わないだろう。

問題は、現行制度上、請願がそれほど利用され、あるいは活用されているだろうか、という点にある。請願自体は帝国憲法以来の憲法事項であるため、残すことは当然としても、その実質化のためにこそ一層知恵をしぼってもらいたい。

もちろん、請願をしたからといって不当にある者を取り扱っても構わないということになってはならないということは言えるので、第2項はその確認として必要な規定と言えるだろう。

自民党改憲草案8章への前注

第8章 地方自治

 

改正前憲法、つまり帝国憲法には、地方自治の章はなかった。

本章は日本国憲法において、国家体制上採用・編入されたものである。

 

日本国憲法では「地方公共団体」という名で呼ばれているところのものが、改憲草案では

地方自治体」という名で呼ばれている。

地方自治体という名称は、むしろ最近ではよく使われているものであるので、それほど違和感を覚えることもないだろう。「自治」体なのだ、というニュアンスも強く出るため、むしろ好んでこちらを使う論者も少なくない。

 

現行法制上、地方公共団体は二層に分けて観念されている。

一つは都道府県、

もう一つは市町村である。

 

帝国憲法下の法制では、都道府県の長官・知事(今で言う知事)は、大日本帝国中央政府の選ぶ者であった。多くは内務官僚であったと言われている。

府県会のような議事機関の議員は住民の選挙によって選出されるものであった。

半分(以上)は国の出先機関であり、これを地方自治を担う者であったと位置付けるのは容易ではない。

 

これに対して、市町村は現行の位置付けとそれほど変わらない、住民の共助や自治の及ぶ大きさのものとして捉えられる。

かつては、自然村と言われる規模のものであったとされるが、明治以降、一貫して町村合併政策が推進され、結果現在のような大規模市町村が支配的になったものである。

しかし、自治体として自らの事務を処理しうるという位置付けは一貫して見て取れるとは言えるのではないか。

 

この点、基本的には改憲草案でも地方自治という考え方自体は保たれているように見受けられる。

ただ、自治体の種類は基本的には二種類であり、詳細は法律で定める、という書き方がされている。

それは、基礎自治体と、広域自治体とである。

基礎自治体は基本的には市町村であろう。では、広域自治体都道府県だろうか。

十年程前であれば、憲法改正道州制を導入しよう、というような議論もあったかもしれない。それが直接的には明示されないで論点回避されている辺り、政策論の議論の儚さを感じずにはいられない。

近年は、都道府県こそ重要である、とまでは言われないにしても、合区反対!とか議員は都道府県代表だ、と言わんばかりの政治的意見が目立つところだ。

広域自治体が道州になるのであれば、都道府県代表論のような議論をする余地も完全になくなる。余計な議論が減ると喜ぶべきか、都道府県は残すべきだと反発するべきか、どこで問題を処理するのかは興味あるところと言える。

自民党改憲草案94条の検討

[条文案]

94I 地方自治体には、法律の定めるところにより、条例その他重要事項を議決する機関として、議会を設置する。
94II 地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する。

 

[1項]

議決機関として議会を設置することを述べる。

「議決」機関という位置付けは、現行憲法典の「議事機関」という位置付けとどう変わるか。

ニュアンスの問題のようだが、後者は、議論をするのだという意味合いが強いように思われる。地方議会では当然に代表質問がおこなわれているものであり、これは議決というのとは全然違う機能を果たしている。首長への要請や激励、首長や知事(・市長等々)部局などに対するまさに字義通りの質問、統制の機能を地方議会が全体として有していて、その一環として代表質問がなされるわけだ。

議決機関というのは、議会の本質的な役割、あるいは憲法上の機能を、ただ条例や予算等の重要事項を通すか通さないか採決するだけのマシーンとする意味合いを含んでいるのではないか?

もちろん、自民党の(国会)議員や地方議員は、日々の議員としての仕事をしていく中で、調査や質問のために大変な労力を費やしていることはよく知られている。今そうであるのはもちろんのこと、それは自民党結党の昔からの伝統である。そんな自民党が、議会を骨抜きにするような意図の下にこのような条文を作るわけがない。つまりは、上記のように「ニュアンスの問題」に過ぎないと読むことになるわけである。

ただ、そのような疑いを抱かせること自体が好ましくないので、この条文の表現は変えるべきであろう。その意味で、本項は不適切な条文である。

 

[2項]

・現行法で言うところの、地方公共団体の長、つまりは知事市町村長等、

・地方議会の議員、

・現行憲法典の言う「吏員」、改憲草案の「公務員」(ただし、その全てではなく、法律で定める特定の役職の者等に限る)、

これらを選挙によって選出することを規定する。

 

憲法典レベルでの被選挙人資格は規定されない(基本的には法律で定めることが予定されることと思われる)

選挙人の資格につき、当該自治体の住民であることに加え、憲法政策上「日本国籍者」であることを要求しようという改憲案である。これは、非日本国籍者への地方参政権の付与を押しとどめる憲法政策を採用しようと読む以外にはありえない案であると見るべきだろう。

地方参政権付与については様々な議論があったところであるが、それについては深入りする必要を見出せない。

 

「直接選挙」は、間接選挙の対義語として、後者を採用しないことを明言する表現となる。間接選挙による選出の代表例としてはアメリカ合衆国の大統領や日本の内閣総理大臣を挙げられるだろう。地方自治体の体制は、現在言われているところの二元代表制、つまり議会と首長の双方を住民が直接の選挙で構成する体制を堅持する、という方針が示されているものと読める。

自民党改憲草案15条の検討

[条文案]

15I 公務員を選定し、及び罷免することは、主権の存する国民の権利である。

15II 全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

15III 公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。

15IV 選挙における投票の秘密は、侵されない。選挙人は、その選択に関し、公的にも私的にも責任を問われない。

 

[2項]

2項はほぼ現行憲法典のままである。ただし、全てとあるところは本来凡てと書くべきだ。

 

[1項]

1項の規定する権利は、「国民固有の権利」という位置付けから「主権の存する国民の権利」という位置付けに変えられている。

 固有の権利ということは日本国民だけの権利であると読むことができるかもしれないが、現在は必ずしもそう読まれていない。主権の存する国民の権利ということはそれ以外の者に恩恵的に選定罷免の権利を与えることも、立法政策上禁止されはしない、ということかもしれないが、そう読むべきであるという根拠も同様に乏しい。

 

[3項]

3項は、選挙以外の方法で公務員を選定するという方法のあることを念頭に置きつつ、選挙による方法を採る場合には日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法によることを述べている。

「成年者」については、18・19歳の者への選挙権付与がおこなわれた現在の法制からの変更が必要となる可能性がある。「18歳以上の者」という表現に変更するか、さもなくば「成年」の定義自体を見直すことが求められるであろう。

日本国籍を有する」という限定部分については、非日本国籍の定住者等への選挙権付与を押しとどめるという憲法政策の採用を目指しているものであろう。この場合であっても、選挙以外の方法で公務員を選定しようというときに非日本国籍の者による選定が行われることは禁止されない。

普通選挙」の定義については現行憲法と変わると考える根拠がない。

成年者一般の普通選挙権の保障という定式から離れる、ということについては何らかの意図があるのかもしれないが、実質的にはそれほど変わらないと考えているのかも知れない。

「公務員」の選定罷免は国民の権利であると言いつつ、一般職の国家公務員・地方公務員の選定に国民はかかわっていないじゃないか、という考え方(これ自体は、日本語を普通に解し運用することのできる人間であれば誰でも当然に思いつくことのできるツッコミであろう)に対する弁明として、3項の書き振りを見ることもできるのかもしれない。

 

[4項]

4項は、投票の秘密を侵してはならないという規定から、投票の秘密は侵されないという規定に変更する内容を含んでいる。表現上は一歩後退しているものと読まざるを得ないが、実質的には変わらないかも知れない。

選挙人は責任を問われないという内容については現行憲法典と変わりがない。

 

[その他の条文]

公務員については、この外、拷問の禁止に関する規定と94条2項の地方公務員に関する選挙の規定がある。

 

[被選定者の資格について]

最後に。

現行憲法典では一切そのように書かれていないが、現在の法制の基本にあると言われている考え方は、「公権力の行使に携わる」公務員等は、原則、日本国民でなければならない、という考え方である。

この考え方については、大昔から、内閣法制局の見解として(いわゆる「当然の法理」)行政部内で明文化されていた。

この見解だけによって、例えばアメリカ人や韓国人や中国人が、日本の公務員として公権力の行使に携わることは許されない、という見解は支えられていた。

 

ところで、先般の「集団的自衛権」容認政策の採用に当たり安倍政権で用いられた手法は、

①私的懇談会などを用いながら法制局見解を変更する議論の流れを下準備、

内閣法制局長官につき、人事の慣例を破り、総理大臣の考え方に近い者を登用、

③法制局見解・行政見解を変更し法制化にまで到らしめる、という手法であった。

 

このような憲法体制改変の先例が確立されたわけである。ということは、これと全く同様の手法をとって、将来の政権が、

①私的懇談会などを用いながら議論の流れを下準備、

内閣法制局長官につき、総理大臣の考え方に近い者を登用、

③法制局見解としての「当然の法理」を変更し、「非日本国籍者であっても、公権力の行使に携わる公務員になることができる」という見解を内閣・行政の見解として確定し、最終的にはこの見解を押し通しつつ法制化にまで到らしめる、

という手法を採るということも禁止されない、ということが明らかになったわけだ。

 

現行憲法下での「集団的自衛権」を容認する者は、以上のような流れによって「当然の法理」を消滅させることを、論理的に、否定することができない。アメリカ人や韓国人や中国人が、日本の公務員として公権力を振るうこととなったとしても、これは完全に合憲・合法なもの、と認めないわけにはいかない、ということになる。

時の行政府・内閣がこの点に思いを致すことなく行政解釈変更を強行したことは非常に残念なことではあった。立法府も国民もこのことを考えることができずにこのような先例の確立をむざむざ見過ごしたことは遺憾の極みと言うべきである。

 

なお、本条は「選挙人」に関し国籍要件を課するという憲法政策の導入に関し述べるものと見受けられるだけである。つまり、「被選挙人」ないしは「公務員」の国籍要件について一切触れるものではない。